アディクションとの共生は難しいのか?

主治医から宣告されて、早4年。未だに依存症というものが、分わったような時もあれば、やっぱり分かっていないような。その癖、依存症らしきものは、常に自分と共に居て、自分を日々試そうとしている。お酒やギャンブル、夜遊びなどの誘惑に搔き立てられ、どうしようも無い酷い気分になる事が良くある。一度スリップしたら、それを止めるのが如何に大変か。お酒の場合、一杯飲んで、その日は帰る。帰っても飲まない。たったそれ「だけ」が日々できれば良いのに、とてつもなく無茶を言われている気がするのだ。一杯飲んで帰るって?そんなの無理でしょ。無理無理。なら飲まないほうがいい。でも飲みたい。一杯だけ。でもそれは無理。週末だけは? いや、キッパリやめよう。仕方ない。自分は病気だから。でも辛い。苦しい。寂しい。情けない。意思が弱いのかなぁ。自分を責めるなと周りが言う。もう分からない。疲れた。楽になりたい。飲みたい。飲みたい。

自分は、複数のアディクション(=依存症・嗜癖)があると言われている。多分そうなんだろうと思う。自分の周りには、そのような仲間達が少なくない。何事にも直ぐのめり込む癖?傾向?があるようで、それが健康的なもの、例えば、お金があまり掛からない趣味や、日々の仕事。いや、仕事はワーカーホーリックになるから健康的ではないな。まぁともあれ、なぜか「不健康」なもの(お金や心身を蝕むような)にハマってしまうのが、我々の悲しい性らしい。もうこれは自分としては諦めた。お手上げだ。減ることはないだろう。だが増える可能性はある。その時にどう対応していくかが大切だと思う。未だに正しい対処法は分からない。そのこと自体を「やらない」ことを続けられれば良いだけなのに。

Amazonで依存症関連の本を探していたら、ちょうど、ナショナルジオグラフィックが、依存症特集を組んでいたので、Kindleで購入。最近はKindle化されていれば、基本はKindle購入。自分は色々な端末を持っているので、それぞれで同じ書籍を読めるし、仮に端末を無くしても、Amazonのクラウドにデーターは全て残っているので怖くない。世の中本当に便利になった。以前は電子書籍なんて、読んでる気がしないとか、頭に入らないとか、勝手に決めつけていたが、最近では、Kindleで読んだ本を、物理的な本を読んだと勘違いして、本棚を探している自分に気づいたりして、やっぱテクノロジーの進化は凄いなと。自分の中に起きた、小さな概念転換、トーマスクーン(科学哲学者)が言う所のパラダイムシフト(言い過ぎかな)でした。

Kindleについてもうちょっと。大学生のころに、確か渡部昇一先生の「知的生活の方法」を読んでいて、将来これは絶対やろう、と思った文がありまして。「人生の晩年はいい本を読む」です。これ、読んで字のごとくです。いい本とは、世界的にも有名で多くの評論家が賛辞している・・・ではなく、本という物理的な「もの」に対しての良し悪しのことです。文庫本よりは単行本でハードカバー、さらに全集で荘厳であれば、そっちの方が良いね。みたいなことだと思うのですが。さて、では今、夜にゆったりと「いい本」を読むとしたら、どんな形の本が良いのかなぁ、とふと思いました。以前は断然、分厚くて重い全集や単行本などに買い換えるイメージでいましたが、Kindleに慣れてから、ちょっと考えが変わりつつあります。タブレットも、もっと進化して、形を変え、愛着のようなものが持てるようになってくれば、短い晩年の夜更けに見合うのかもしれない、と思いました。

ナショナルジオグラフィックの依存症特集、一番衝撃を受けたのは、ロシアの医師が、半年分の抗酒薬を皮下に埋め込もうとしている写真です。埋め込んだのは、ノックビンなのかシアナマイドなのか、大丈夫なのかなぁ?と心配になってしまいました。流石にどんなに酷い患者でも、日本じゃここまではしないと思いますが。まぁ、抗酒薬飲んでても飲んでしまう人は居ますけどね。自分はすぐにギブアップしましたけど。

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