頑張れない。

「頑張る」という言葉が好きではなくなった。鬱になる前は、兎にも角にも「頑張ります」と無責任な言葉を使って、皆に「やる気アピール」をしていた気がする。
それに、「頑張れ」と言われると、応援されている気がして、今以上にやる気が起きていたのは事実だと思う。

「頑張る」とは、将来に対して「夢や希望、目標」があり、その自己実現のために努力する時に使う言葉だと思う。

では、「夢や希望、目標」が持てない場合は、どうだろう。
他人に「頑張れ」と言われても、「何を頑張ればいいのか」分からない。ただ苦しいだけだ。

鬱の人に「頑張れ」と言ってはいけない、いや、言ってもいい、などの意見があるようだが、「言ってはいけない」と思う。本人が落ち込むだけで、見えない何かに追い詰られる気分になるだけなので。

ただ、鬱が以前より軽減、例えば自分の場合だが、字が震えずに書けるようになる、小声が普通の音量になる、スローな行動、特に歩くスピードが普通の速度になる、夏でも寒気がしていたが、普通に暑いと感じる、などを経て、少しだけ、先々の人生について考えても落ち込まなくなってきたと感じた時、応援の気持ちを強く込めて、「頑張って。応援してます」と言われるのは、悪くないのでは?と思う。

世の中、無責任に言い放つ「頑張れ」フレーズが多すぎる気がする。他の言葉もそうだが、相手の気持ち、「少なくとも」自分が言われたらどう感じるのか、をちゃんと意識して話すべきで、それが出来ない人は、無責任な言葉を連発して自己満足しているだけなので、鬱状態のときは、特にそういう人には関わるべきではないと思う。

夢や希望、目標が持てる日はいつ来るんだろうか。そんなことを考えると、自動思考が働き、負の思考スパイラルに陥る癖があることは分かっているが、辛いものだ。何が辛いかを説明することすら難しい。心理状況の外化自体、難しい作業だ。だから臨床心理士が一緒に外化に取り組むのかなと最近は思う。臨床心理士の存在意義は詰る所、そこだと思う。

他人に「心に響く」「頑張って」を言われたときに、
 「頑張れる」自分を取り戻したい。少なくとも昔はそうだったから。