こんにちは! 自分のことを書くって、なかなか難しいですよね。。。人生を思い返すと、ハッタリと運で生きてきた所が多々ありまして。まぁ、それでもうまくいかないことが多々あり、太宰治じゃないですが、恥の多い人生を送ってきた気がします。思い返すと、幼稚園のときが一番輝いていたかも。なぜかモテモテでした。(笑)小中高はなーんとなく過ごし、大学は、たまたま入学できて、卒業後は就職をしたくないから大学院へ。博士はちょっとそこまではなぁ、と思い、またなーんとなく就活して、と言っても確か、3社だけですけど。(笑)小さなソフトハウスに入社。3年近く受託や自社アプリを作って過ごして、転職。大手メーカーのソフト開発部門に潜り込み、15年ぐらい?勤めて、今に至ります。というのが簡単ですが自分のプロフィールです。以下は、IT 関連中心に、自分に起きてきた歴史をつらつら書いています。ご興味ありましたら読んでください。

パソコンに目覚める。

確か大学2年、初めて買った(買ってもらった)パソコンは Macintosh の LC630。当時、ディスプレイ合わせて30万ぐらいしたかな?親に感謝!で、初めはWordやExcelとかで実験のレポートなんかを書いたりして(当時は殆ど皆手書きでした)、それなりに活用していたのですが、雑誌 Mac Life の後ろの方に、ちょっとしたプログラムなんかが確か書いてあり、良く分からんが、動かしてみたいなぁ。と思ったのがきっかけで、プログラミング、アプリ開発の勉強をはじめた次第です。で、良く分からずInside Macintosh の CD を購入。さらにCode Warriorも大学の生協で買って、バリバリアプリ作ろう!と思いきや、ぜーんぜん意味がわからず、挫折。プログラミングって、きっと、ものすごーく頭の良い人がすることなんだろうなぁ、とその時思いました。。。その頃 Windowsも、ようやく95が出てきた時代でして、そっちも手を出していたら、そのうちLinuxなるもの知りまして。大学のPCに入れて、IP マスカレードしてプライベートIPを研究室用にふったりしてたような。Javaという言語を知ったのもその頃で、Java Worldを愛読するようになりました。毎月ワクワクしながら読んだのを記憶しています。当時はまだ Java1.1 だったかしら?日本語にようやく対応して、Java1.2から、Appletが主流だったJavaが、サーバーサイドで動作する言語としての地位が確立しつつあった、そんな時代でした。

ソフトハウスで働く。

雑誌 Java World の広告に、Java と Linux がうんぬん・・・人材募集!とあったので、おぉ、これは自分にピッタリの会社じゃね?と思い、早速エントリーしたら、めでたく採用に。ここから、本格的なIT人生が始まりました。入社前までまだまだ日もあったので、会社に慣れるためにバイトがてら来ない?と、当時の部長に言われてちょこちょこ会社に顔出すようになりました。秋葉原の雑居ビルの上の方。2フロアしかないこじんまりした会社でした。初日だし、ちゃんと挨拶しないと!と意気込んで、大きな声で挨拶したところ、なーんも応答がない。。。何じゃここは?ってか、パーティションで前後左右閉じられてるし。。。ここは人間関係が希薄な会社なのかなぁ、と思ったのが第一印象でした。実際、飲み会なんかで話をすると、とても楽しい人ばかりなんですけどね。でもやっぱり、今思い出しても変わった人が多かった気がします。ITスキルはめちゃ高い人、猛者達がたくさんいました。で、その後転職する訳ですが、当時はとにかくやる事が多すぎた!昔は、自分が居ないと会社が回らない、そんな環境が理想だと思っていたので、自分の居場所を作るためにひたすら働きました。今思えば、自分で自分の首を絞めていましたね。当時は全く気づきませんでした。その頃、自分は自社製品の開発部門にいました。そこで作っていたのは、気鋭の開発者である次長が、Strutsなどのフレームワークが世に出る前に作っていました、当時、フレームワークという言葉が飛び交っていましたね。各社競うように作っていた気がします。フレームワークを使うと、簡単な記載で、あら不思議、Webシステムが簡単に出来てしまうからすごい。面倒なところ、ログイン認証とか、データベース接続、うんぬんは、ほぼフレームワークが吸収しているので、開発者は、画面(JSPとか)と、ビジネスロジック(もう死語か?)に注力すればよかったんですね。その辺りから、MVCモデルっていう言葉も使われ始めたのではないでしょうか? で、何が言いたかったかと言うと、フレームワークの開発、特にメンテナンスは大変でした。。。という話。フレームワークは、様々なアプリケーションサーバー(Webシステムの3層モデルの真ん中)を構築するソフト上で動作しなければ、お客様に訴求出来ない訳で、その為には、Tomcat以外に、BorlandのAppServer、IBMのWebSphere、BEAのWebLogicなどの有償ソフト上で動作する事が求められており、もちろんバックのデータベースもOracle、DB2、その頃、MySQL、PostgreSQLあったっけ?SQLiteはなかったな。などなど対応しないといけない訳で。対応するのも大変でしたが、動作確認を行うのが組み合わせ色々だし、チョー面倒で、かといって、CIするのもどうやったら良いか当時分からなかったので、そんなこんなで、やる事が多かったのです。長くなってしまいました。。。色々経験させてもらったのはありがたいことです。あ、会社経由だったですが、日経ソフトウェア様に10ページ記事を書いたこともありました。これはお小遣いもらえて良かった。(笑)でも、そういう体を酷使した仕事のやり方は、20代じゃないと無理!です。今、徹夜なぞした日には、きっと1週間体調悪いと思いますよ。命あっての物種ですね。年取ると、体力だけでなく、気力も落ちます。(泣)で、次は自分がいなくても会社がぐるぐる回る、大きな会社にしよーと思い、大手メーカーに転職しました。

大手メーカーのソフト開発部門に転職。

まだ辞めていないので、業務についてはあまり詳しく書けませんが、少し簡単に書いておこうと思います。まず、自分がいなくても会社はぐるぐる回りましたね。長期休暇の時もそうだし、体調壊して数ヶ月休職した時もそうでした。気が楽な反面、初めのうちは何か寂しいものを感じました。とは言え入社当初は、中途なので当たり前ですが、直ぐに火を噴いているプロジェクトにブチ込まれ、右左分からず、いつ終わるか分からない(今思えばそんな気がしていた)バグ取りの日々。(まぁ、どの会社でもそういう辛い時期はありますよね。それが続きすぎるとたいがい退職者が出るのですが。。。)と、そんなことも多々ありましたが、さすが?大企業、大きな仕事にいくつも関わることが出来たのは、良い経験でした。が、しかし!?私生活は、あることをキッカケに、夜遊びにはまり込んで、たーくさんのお酒を飲み、たーくさんのお金を散財するようになり、少しずつ、人生レールから外れて行き、気付いた時には、人生破滅の道を歩んでおりましたとさ。。。続きは、辞めたら書ける範囲で書きます(笑)

以上です。また何か進展があった時、更新したいと思います。